サイトをご訪問いただきありがとうございます。

おがわんと申します。
障害者入所施設にて生活支援員を18年やっておりました。
「 神様が僕たちのような人(=障害者)をつくったのは
この世界に、優しい人を増やすためだね 」
この仕事をしているとどうしても心が折れそうになる瞬間があります。
暗くて嫌な感情に支配され、自己嫌悪におちいることもしばしばです。
そんな時は、ネットで見た、この言葉を思い出すようにしています。
とある障害を持った子どもが何気なく言った言葉だそうです。
仕事の忙しさに追われているうちに、自分が嫌な奴になっているんじゃないか?
同じように悩んでいる同業の方がいたら、読んでほしいなと思いこの文章を書きました。読んでいただけたら嬉しいです。
介護、生活支援の現場は本当につらい
障害者福祉に限らず、介護の現場は本当に大変ですよね。文字通り朝から晩まで動き回っていることと思います。PCを使う事務仕事、同僚たちとの相談・意見交換は、ほぼ勤務時間外しかできない、っていうところも多いのでは?自分もそうでした。
忙し過ぎて、自分でも納得できてないクオリティの仕事をせざるを得ないことが多々あるのもフラストレーションでした。
そのうえ慢性的な人手不足。
「連休ください」と申告するのはちょっと勇気が必要だったり。自分の有給だから堂々と申請する権利はあるんですけど、ちょっと後ろめたい感じ。この忙しい時期になんかごめんね、みたいな。
また、常に満身創痍、余裕ない状態で仕事しているため怪我や体調不良のリスクも増えてきます。それで急な欠勤が出てしまうと、残された同僚にしわ寄せがきて、さらに忙しくなる悪循環。
とはいえ、次は自分が怪我や体調不良で休むことになるかもしれないし、何かあったときの欠勤はおたがいさま。文句言いっこなしのルールなのはわかっている。わかっているけど…。
怒りのやり場に困るこの感じが、僕は結構ストレスでした。
がんばっているのに報われない
地味につらいのは、「がんばっているのに報われない」ことです。
報酬の面もそうですが、僕がつらいと感じていたのは、どちらかというと利用者さんとの対人関係においてですね。
認知面の障害がある方ですと、介助中に蹴られたりつねられたり。それで青アザや出血することもよくありました。「あなたのためにやっているのに!なんで邪魔するの?」とつい思ってしまう時はあります。

忙しくて焦っている時は特に…
この仕事で、それは禁句なのわかってるんですけどね。
逆に身体の障害はあるけど知的にはしっかりされていて(なんなら職員より頭がいい)、自分の意志がはっきりされている利用者さんとの対人関係もまた難しい。全員がというわけではなく、もちろん人にもよるのですが。中にはとても気難しい方もいて、神経を消耗しました。物理的なケガよりも、僕はこちらのほうが大変だったかもしれません。
僕がまだ新人の頃、ものすごい利用者さんがいらっしゃいました。とても頭の良い方で、要求するレベルの支援に達していないと、必要以上に理不尽な罵詈雑言を浴びせられます。支援に関係ない僕の親や兄弟のことまで「そこまで言う??」ってくらい罵られました。
結構な数の同僚が、そのストレスが原因で辞めていきました。
最近はカスタマーハラスメントなんて言葉もありますけど。当時はまだカスハラという概念が一般的ではなかったので…お察しください。
一生けんめい気を張って仕事して、「オマエなんか辞めちまえ」と言われる。
別に感謝されたくてやっているわけではないつもりですけど。
でも心や身体が傷ついて、それでも明日も出勤しなきゃいけないとき。心が折れそうになる夜が何度もありました。みなさんはいかがでしょうか。

逆に期待してないのに思いがけず「ありがとう」と言われたこともありますよ。
それがこの仕事のやりがい、醍醐味だったりもします。
なぜ障害者という人たちが存在するのだろう
こちらの心身がボロボロになってでもやることなのか?と訊かれたら、答えは「YES」。誰かがやらないといけない仕事だから。
それで給料をもらうと決めたのは自分なんだからボロボロになってもやるしかない。それはわかっています。
でもそんな時、ふと考えてしまう。
なんでこんな目にあわなきゃいけないのかな…。
神様はなんのために、世の中に障害者という人たちをつくったんだろう?
お酒の席で、同僚とそんな話をしたことがあります。
ある人は言いました。

言い方悪いけど、雇用を生んでくれてるんだよ。
あの人たちのおかげで仕事があって、メシが食える。
そう考えたら、多少つらい目にあっても割り切れるってことですか。うーん。

自分を成長させてくれる存在だと考えるようにしています。
うんうんなるほど。わからなくはない。けど。
支援者のために、障害者と呼ばれる方たちが存在する、ってことか…?
明日、いや1時間後にも、事故や病気で自分たちが「支援される」側になることだってあるんだけど??

いまいちしっくりこないなあ
例のいたたましい事件
この話になると思い出すことがあります。2016年、神奈川県相模原市の障害者施設やまゆり園で起こった殺傷事件です。
犯人の男はもともとそこで働いていた職員であり、「障害者という存在は世の中に必要ない」という思想を一貫して主張している、と報道されました。
一般的には、怒りとか恐怖みたいな感情でこの事件をみていた人が多かったと思います。でも障害者福祉に携わっていた僕にはもう1つ、それとは別のモヤモヤして気持ち悪い感情もありました。
報道によると、その男は殺してしまえという極論的思想に達する前までは、「どうして障害者という人たちが存在するのか」悩んでいた、とのことでした。
そこまでは僕と同じだ……!
報道を聞いて背筋がゾッとしたのを覚えています。

だからって「生きる価値なし」という結論は到底理解できません。
擁護するつもりは1ミリもないですよ!!
でも、自分も一歩間違えばこうなっていた可能性があるのか?
というか、大きな枠でくくると、自分もこの男と同じ分類の人間なのか??
とてもモヤモヤしました。モヤモヤしながら仕事を続けていました。
そんな時、この言葉に出会った
ネット上で冒頭の言葉に出会ったのはわりと最近です。
「 神様が僕たちのような人(=障害者)をつくったのは
この世界に、優しい人を増やすためだね 」
ある障害を持った少年が支援者に向かって言った…というのは強烈に覚えているのです。が、どこのどんなサイトで読んだのか、そもそも本当の話か作り話かも分かりません。
実はですね…もう一度読みたいと思って何度ググってみても出てこないんですよ!!!
なぜなんだ?? 夢だったのか??

神に誓って僕の作り話ではないんです!!
私も見ました!って方いましたら教えてください。
まあどこで読んだのかはとりあえず置いといて。
この言葉を聞いて、他のどんな言葉よりも圧倒的にしっくりきたんです。
なるほどな、と。
理不尽な目にあっても笑顔で支援を継続するのは、並大抵の精神力ではできません。
日々さまざまな背景を持つ利用者さんたちと接する中で、その境地に達することができたら。そこへ達した先輩の影響をうけて、同じことができる後輩が増えたら。
世界に「優しい人」がどんどん増えていく。 のかもしれない。
そのための試練だと思えば、心身の傷もちょっとだけ受け入れられる気がしました。
最後に・・・
とはいえ、この言葉に出会ったからって、翌日から100%完璧な聖人君子に変身したわけではありません。
あいかわらず忙しくなってくるとイライラしてしまうし、「いま時間ない!ごめんなさい!!」 は避けられない。
利用者さんの理不尽な言動に「ぐぬぬ…」となることもあります。
でも心が乱れそうになった時に、ふとあの言葉を思い出すようにすると、少しだけ冷静になれました。
焦りや怒りの感情は抑えて、笑顔で乗り切ることができたら。理不尽に思える言動の背景に思いを巡らせ、寄り添うことができたら。
めぐりめぐって世界を良くすることに貢献できる?のかな??ちょっと大袈裟ですけど。
だとしたら、やっぱりこれはとんでもなく尊い職業だな!!
つらいことがあっても、翌朝また前を向ける理由。そしてまた、人手不足ではあるけど、今もこの仕事を志してくれる人が一定数いる理由ではないかと思っています。

もっとこの職業の報酬を増やしてくれないかな!
ここまで読んで「全く共感できない」と思われた方には、無駄な時間を使わせてしまってごめんなさい。
自分がそうだったように、なにかしら「刺さった!」という方が1人でもいてくれたら、それ以上に嬉しいことはないです。
お読みいただきありがとうございました。